毎日一回、萌の散歩道のショートコースを歩いています。ロングコースは、萌が大変そうだったので、ある時期から止めました。様子見に行くと、倒木やササが覆い被さりそのままでは歩くのが大変な状態でした。
ササの繁茂していた赤道が、晩年のショートコースです。地主さんの承諾を得て、時々ササを刈っています。雪の日も台風の日も休まず、何千回と歩きました。
散歩コースの脇にある地域でも稀な存在となってしまった広葉樹林です。昨年末、新たに地主さんから全域のササ刈やセンサーカメラの設置などの承諾書をいただきました。隣接する所有林(ヒノキ林)と共に、山野を歩くことのと少なくなった私の自然観察エリアです。興味深い植物や数々の野鳥、そしてシカやイノシシの痕跡もあります。先日は音を立てて木に登るリスに会いました。身近な場所ですが、視点を変えて探索すると楽しいです。
樹上に居候しているのはベニシダでしょうか?

優先樹であるクヌギやコナラはもちろん、立枯れてキノコの生えている木が目につきます。ササ刈は、林内の散策をし易くするためだけでなく、樹木の実生苗や草本類の生育促進を図る目的です。
ブログ友の住む新潟妙高市には、里山保全クラブというしっかりしたボランティア組織があって、下草刈りや倒木の片付けなどを行っているそうです。私たちの地域でもメンバーを募れれば良いのですが、何年間かそういう事に目を向けるようになって、それが容易ではないと痛感しています。
昨日は、植物園で落ち葉や枝の片付けをして来ました。作業後に、草本保全区から離れたところにあるサクラの保全区を見て来ました。
シカ柵で囲まれた広大な植物園の一角に、ゲートで仕切られたサクラの保全区があります。サクラは植物園の各所に植えられていますが、このエリアには様々な種がコレクションされています。
まだ若木ですが、サクラの花が見頃になるまで成長したら、素晴らしい植物園になると思います。開花時期の異なる種を交互に植えてあり、長く花を楽しめるような工夫がされています。
南側・・駿河湾方面を向いて撮りました。
サクラの間に、地域産業と関わりのあったミツマタも植えられています。植物園が一般開放される頃には、お手伝いを卒業していると思います。でも、植栽された若木の成長を見守るのも楽しいです。
ついでに・・。
我が家のカワヅザクラです。一部花が咲き始めました。
枝に生えたノキシノブかと思ってズームすると、沢山果実をつけたクモランでした。トリミングし過ぎてかなり荒くなってしまいました。民家の着生植物を調べに来た学生さんたちの卒業論文は、無事完成しただろうか?2回同行させてもらって、庭木に着生する植物が意外に多い事を知りました。
本日は、天気が悪かったのでパソコンで書類作成などをしていると、「萌」のお姉さん犬「小桃」の写真が送られて来ました。
庭で遊ぶ「小桃」。元気そうで何よりです。
「萌」が困ったときの表情とそっくりです。
サンルームで休む「小桃」です。「萌」と同じく寝ている事が多いようです。
「萌」を撮った最後の写真です。晩年は、朝夕の散歩と食事以外はこのように寝てばかりでした。
「小桃」と「萌」は千葉で生まれ、甲斐犬愛護会東京支部(当時)を経て、埼玉と静岡に離れ離れとなりました。その一年後、Webで奇跡的な再会を果たしました。以来、誕生日には飼い主さんから送られて来た写真を、ブログ記事に掲載して来ました。「萌」が旅立った後も、こうして写真を送っていただくととても嬉しいものです。今後も、甲斐犬のカテゴリーで掲載していきたいと思っています。小桃、萌の分まで頑張って長生きしてくれ!
「萌」は、十数年毎日欠かさず歩いた散歩道の近くで、先代甲斐犬「竜」の隣に眠っています。ずっと短い散歩コースになってしまいましたが、あれから毎日「萌」に会いに行っています。不思議と喪失感は少なく、安らかに眠ってくれる事を祈っています。でも、散歩道を歩き、「萌」の小屋を見ると生前の姿が瞼に浮かびます。
6日に、再生畑②だけ覗いて来ました。他の畑はどうなっているのか、行くのが怖いので止めました。
上段が赤花、下段が白花の蔓有エンドウマメです。例年より遅く播種しました。早く蒔きすぎると、年末にかなり成長して花を咲かせてしまう事があります。平地ならともかく、山間の地では伸ばし過ぎると寒さで枯れてしまいます。
このダイコン、二ヶ所から葉が出ています。この列には、2本ありました。地下部が二股になったりする事はありますが、葉が複数個所から出ているのは初めて見ました。前者は根が障害物にぶつかった場合などに現れるそうですが、後者の原因は何でしょう?
最近、この植物が姿を現すようになりました。マツバウンランです。野菜を作り始めたばかりの頃は、全然見かけなかったのですが、彼方此方で見かけるようになりました。どうやって、隠れ里のようなこの畑にやって来たのでしょう?野鳥が食べて運んで来たのか、とても小さい種子なので強風によって飛ばされたのかもしれません。花が咲くと、間もなく種子が熟し重力散布しますので、早い内に除草しないと瞬く間に群生してしまいます。土が露出しているような場所を選んで生えていますので、好光性の種子ではないかと思います。冬でも除草作業は手が抜けません。
1月10日は、今年初の植物園の作業に行って来ました。晴れていましたが、風の強い日でした。草本保全区はスギ林が主体なので、林床を覆いつくすほどのスギの枯葉を片づけて来ました。
西エリア入り口近くのミニ梅園です。この右手方向には、もっと良く富士山を見られるサクラエリアがあります。花の時期に掲載予定です。
開花の早い紅梅は、こんなに咲いていました。
まだ蕾が固いと思っていた白梅も、品種によってはポツポツ咲き始めていました。西エリアには、サクラ、ツツジ、シャクナゲ、ガクアジサイ、ミツマタなどが植栽されています。それらの成長を見守るのも楽しいです。
先生宅へ向かう道で撮った富士山です。雲一つ無いとても良い天気でした。
今日は再生畑②で電気柵の補強と、隣接するスギ林の中に網を張って来ました。網の中には、植物園や富士山こどもの国へ植栽予定の実生苗などを植えてあります。イノシシやシカは、網があっても侵入される事があります。ただ、リスクを背負っても食べたいような魅力的な餌が無い(見つけられない)場合は、一応防護柵になります。無いより有った方が良い・・という感じです。
コキンバイザサの種子の熟す時期が分からずにいました。花期は5~6月とありますが、秋口に花を見る事もあります。この植物は、冬に地上部が枯れます。枯れたコキンバイザサを確認したところ、ドライ果実の付いている個体が幾つかありました。一番遅い時期に咲いたものと思われます。
果実を2~3個採取しました。中にはとても小さな種子が複数個(数え忘れました)入っていました。
突起部で、鞘の中に固定されていたのだろうか?
とても小さな種子なので老眼では気づき難いですが、トリミングして見ると沢山のイボがあります。上手く発芽してくれるか分かりませんが、富士山こどもの国「花の谷」と造成中の植物園に植栽するつもりで種を蒔きました。地温が発芽温度になるのを待って蒔く方が良いのかもしれませんが、私はどれも直ぐに蒔いています。自然播種時期に合わせる事と、保存して置くと蒔くのを忘れてしまうからです。
何年後かに、こんな花が咲いてくれたら嬉しいです。キンバイザサ科コキンバイザサ属コキンバイザサ(Hypoxis aurea Lour.)。旧分類体系のクロンキストではユリ科とされていました。愛鷹山系某所では、殆どの個体に食痕があり、シカの食害ではないかと思われます。また、他の植物が繁茂して環境が損なわれると、短期間に生育地が移動しているような印象を持っています。同じ場所で複数年見ていると、いろいろな事に気付きます。最近では、目新しいものを追い求めるよりも、その方がずっと楽しいです。
2021年秋、初めてササユリの種子を撒きました。ところが、翌春全然姿を見せず失敗に終わったと思っていました。その後、ある論文をいただきました。その論文は、ササユリの自生地保全と園芸利用に関するものでした。「種子が地下発芽を経て地上に出芽するまでに17ヶ月もの期間を要し・・」とあります。しかも、開花に至るのは播種から6年の歳月がかかるそうです。昨年末に実生床を確認すると・・。
「あっ、出芽している!」
球根が露出していました。
霜で持ち上がったのだろうか?挿木種蒔き用土を被せておきました。これらは、播種から17ヶ月もかかってはおりません。地上への出芽が早かったのは、実生床の容器が保温性の高い発泡スチロールだったからかもしれません。
一昨年から、富士市域某所のササユリの保全に微力ながら関わらせてもらっています。昨秋にススキを刈取り、脇の林に除去して来ました。その時に採取した種子を別の実生床に撒いてあります。順調に発芽すれば、地上部に出芽するのは2024年の春になります。それで得られた苗は、ウィルス確認をして生育地と近い場所に植え付ける予定です。掲載した苗の親株は、同じ富士市域でも場所が異なるため、混じらないように気を配っています。論文には、他にも興味深い事がいろいろ書かれていました。ササユリは、思っていたよりずっと気難しい植物のようです。ちょうど良いタイミングで論文に出会えた事に感謝です。植物の保護は、人やその立場によって様々な考え方があります。ただ、理想論を唱えているだけでは保護できない現実を幾度か目にして来ました。また、実生栽培を経てその生態を知らなければ、実のある保護は難しいと思っています。昨年撒いたササユリが無事開花に至れば・・。
こんな色の濃い花が咲くと思います。後、6年は元気でいなければ・・。
年末になると、父親が蕎麦を打ち母親がコンニャクを作ってくれました。不肖の息子は、どちらも教わる事無くただ食べるだけでした。そば粉は買い忘れたので、コンニャクを作ろうと一つ掘って来ました。
これは床に置いてあるのではなく、秤の上に載せた状態で真上から撮りました。とても大きな芋なので、皿が隠れています。
1.175kgもありました。家の鍋からするとちょっと大きすぎます。でも、残して傷んでも困るので、全部使いました。出来たコンニャクの量を見て後悔しています。
コンニャクを作るのは年一度くらいなので、手順が脳内からリセットされていてアタフタしてしまいました。両親は、蕎麦、コンニャクだけでなく、味噌や醤油、麹の甘酒も作っていました。昔の人は凄かったと、この年齢になって気付きました。同居する嫁さんと次男は、手が痒くなるのでコンニャク作りは手伝ってもらえません。当然、器具洗いと片付けも自分でやる事になります。